主張すること。



先日、おうちのマダムと初めて「話し合う」機会をもちました。



最近おうちの環境で気になるところがあり、

気にしないように努めてきたものの

自分にとってストレスになっていたことに気がつきました。


これまでフランス語で「話を聞く」とか

「客観的事実を説明する」

「好意的な内容の話に同意を示す」ことは多かったけれど、

自分の要望、しかも相手にとってネガティブな内容を伝えるということは

日本語でさえも気が重くて避けたいことなのに

それならもう引っ越そうかしら…とも考えていたここ最近。

マダムのことはとても好きだし、

おうちも大好きだけど…。

でも、マダムのほうから話す機会を持ちかけてくれたおかげで、

勇気を出して、自分のおもうところを正直に話すことができました。

そうしたら、

驚くほどきちんと話を聞いて、理解と共感を示してくれました。

「ネガティブなことを言われた」と捉えられるのではなくて

「わたしの正直な気持ち」として受け入れてもらえた、

そういうふうに感じられて

とても嬉しかったです。

気になっていた問題も、
(というと大袈裟ですが、騒音などのこと)

話し合ったその日からかなり改善されたし

来月頭にはもとの平穏な、癒しのおうちライフが戻ってくるそうなので

引っ越ししなくてよかったあ。

そして翌日はけろっといつも通り、あとに響かないのも嬉しい。

これがフランスという国なんだなあ!と

感動してしまいました。

そして、

フランス語を勉強してきてよかったなともおもいました。


異国で暮らしてみると

何より自分のことがよくわかる。

自分にとって譲れないもの、大切なひと、

自分で気がつかなかった性格も。


人が人を裁いてはいけないという考えは、今も昔もあって

人は他人を簡単にジャッジすべきではないとおもっています。

頻繁に有名人のブログや言動が「炎上」するのも

もちろん色んなケースがあるとおもうけれども、

でこぼこの立体の、ひとつの側面だけを

よってたかって

窮屈でちっちゃい物差しでもって計って

自分のジャッジを全世界共通のジャッジかのように押しつけているようにも見える。


もちろん、社会で生きていく上で法律やモラルや常識は必要だし

自分のなかで正しい、正しくないと判断基準をもつことは

すごく大切だとおもうのだけれど

自分の物差しを持って行動すること

それと同時に

自分の物差しを他人に押しつけないことも大切だとおもう。

つまりは多様な価値観を認める、相手の立場に立って物事を見る、

ということになるのだけれど

偉そうなことを言いながらも

わたしはその土壌をきちんと育てられていないのだな、と

今回すごく実感しました。

今回に限らず

相手にとってネガティブなことをいうのがいや、

「自分の物差しで見るとあなたは間違っています」
「自分の物差しで見ると、こうするべきだから、あなたにもこうしてほしい」
というのがいや、

というのは

一方的に自分のジャッジを押しつけて相手に嫌な思いをさせるのがいや、

という気持ちから来ているのだけど

それは、本当の意味で相手の価値観を尊重していることにはならなくて

やっぱり自分の物差しでしか計れていないのと変わりなくて

自分の物差しを差し出して、相手の物差しと見せ合って

初めて相手の価値観を本当に理解できる。

それは決してネガティブなことではないのだと

身をもって感じられました。

頭ではわかっていたはずだったのだけどな。

やっぱりむずかしいことだけれど。

なんだかやけに大袈裟な文章になってしまいましたが、

でも、ほんとに話し合えてよかった!

ついでに

今までなんとなく気を遣って遠慮していたバスタブにも浸かりました!

あったまる〜。



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