MAISON LOU paris
schedule 2018-19
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*1月13日までnew year sale中です
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2020年末に閉館予定の、原美術館へ行きました。
『ソフィ・カル 限局性激痛』
19年前の個展をフルスケールで再現したという今回の展覧会。
ソフィ・カルが、愛する人との3ヶ月の別離ののちの失恋と、
その傷が癒されるまでの過程を作品化したもので
(もちろん虚構も混じっているとは思われますが)
胸が抉り取られるような、痛々しい、そして瑞々しい、
喪失と治癒の追体験。
そこそこ長い間、人間やってたら、
誰しも喪失の痛みを一度は味わったことがあるのではないでしょうか。
それがわかりやすい「死」とか「別れ」のかたちをとっていても、いなかったとしても、
「痛み」というのはどこまでも個人的な次元のものであって、
誰とも共有することはできない。
そしてそれが、喪失による痛みであれば、なおさら。
心の奥底の井戸に埋めている、生々しい喪失の痛みとその情景を
あえて掘り返すのは、勇気がいるもの。
ソフィ・カルも、15年の間、この恋にまつわる写真をしまいこんでいたといいます。
これをアートとして作品にしたのは、
衝撃的だし、えぐい。
作品自体は、美しい写真や文章、刺繍などが連なっていて
全く不快なものでも衝撃的でもありませんが
後味は、強烈です。
きっと、美術館からの帰り道、
皆、自身の喪失と向き合うだけでなく、
人が感じる喪失の重み、リアルな痛み(失っているのに、質量を感じるというのも変ですが)について考えたり
また、
作品中いくつかの、現実なのか虚構なのか曖昧だったエピソードや写真の世界に
迷い込んだのではないかな、とおもう。
わたしはその晩久しぶりに、いやな夢を見ました。
『ソフィ・カル 限局性激痛』
19年前の個展をフルスケールで再現したという今回の展覧会。
ソフィ・カルが、愛する人との3ヶ月の別離ののちの失恋と、
その傷が癒されるまでの過程を作品化したもので
(もちろん虚構も混じっているとは思われますが)
胸が抉り取られるような、痛々しい、そして瑞々しい、
喪失と治癒の追体験。
そこそこ長い間、人間やってたら、
誰しも喪失の痛みを一度は味わったことがあるのではないでしょうか。
それがわかりやすい「死」とか「別れ」のかたちをとっていても、いなかったとしても、
「痛み」というのはどこまでも個人的な次元のものであって、
誰とも共有することはできない。
そしてそれが、喪失による痛みであれば、なおさら。
心の奥底の井戸に埋めている、生々しい喪失の痛みとその情景を
あえて掘り返すのは、勇気がいるもの。
ソフィ・カルも、15年の間、この恋にまつわる写真をしまいこんでいたといいます。
これをアートとして作品にしたのは、
衝撃的だし、えぐい。
作品自体は、美しい写真や文章、刺繍などが連なっていて
全く不快なものでも衝撃的でもありませんが
後味は、強烈です。
きっと、美術館からの帰り道、
皆、自身の喪失と向き合うだけでなく、
人が感じる喪失の重み、リアルな痛み(失っているのに、質量を感じるというのも変ですが)について考えたり
また、
作品中いくつかの、現実なのか虚構なのか曖昧だったエピソードや写真の世界に
迷い込んだのではないかな、とおもう。
わたしはその晩久しぶりに、いやな夢を見ました。
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